清見寺公式ホームページ臨済宗妙心寺派 巨鼇山 清見興国禅寺

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畧年表

西暦 年 号 摘      要  
679 白鳳七年 この頃清見関設置され仏像建立されると云う  
708 和銅元年 田口益人上野国赴任の途上清見崎歌を詠う 万葉集(三)
801 延暦元年 奥州の逆賊高丸清見関を破る 元享釈書(九)
940 天慶三年 平将門の叛乱の際岫崎関(清見関)打破せらる 日本記畧(二)
1032 長元五年 菅原孝標常陸介に任ぜられ清見関を過ぐ 更科日記
1200 正治二年 梶原景時清見関において戦う 北條九代記
1241 仁治三年 源親行清見関を通過する 東関紀行
1255 建長年間 この頃清見寺梵鐘の第一回鋳造を行う 梵鐘銘文
1259 正元元年 日本僧明元中国において経巻を開版する 金沢文庫
1262 弘長二年 聖一国師清見寺落成式に臨む 国師年譜
1279 弘安二年 無学祖元禅師清見寺を題して詩あり 仏光国師語録巻八
1314 正和三年 清見寺の梵鐘鋳造せらる 梵鐘銘文
1341 暦応四年 玉澗師伯禅師清見寺に入寺此頃より輪番地となる 嵩山集(二)
1342 康永元年 足利尊氏清見寺を十刹の官刹に奏請す  
1342 康永二年 玉峯智琢禅師清見寺に住し天龍寺落慶供養に参加す 延宝伝燈録
1349 貞和五年 不聞契聞禅師清見寺入寺す 本朝高僧伝
1351 観応元年 足利尊氏地蔵尊画像に自画自讃す 清見寺蔵
1407 応永十四年 金峰明殿禅師清見寺に入寺す 鶏臭集
1409 応永十六年 大愚性智禅師清見寺に入寺す (本朝高僧伝四○)
1432 永享四年 足利将軍義教富士遊覧の途上清見寺に来る (雅世卿富士見記)
1442 嘉吉二年 関聖明元禅師木像再興す 清見寺蔵
1481 文明十三年 月船禅師清見寺に入寺する 同門疏
1485 文明十七年 万里集九清見寺に来り詠す 梅花無尽蔵
1522 大永二年 宗長法師清見寺に来る 宗長手記
1539 天文八年 太原崇孚禅師清見寺に入寺(準開山) 清見寺文書
1549 天文十八年 徳川家康公駿府に人質となる 日本外史
1568 永禄十一年 武田信玄駿河国に人り今川氏真を破る
1569 永禄十二年 北條氏康氏政父子清見寺に宿す 小田原記三
1571 元亀二年 大輝祥邊禅師住す(中興開山) 清見寺文書
1582 天正十年 徳川家康の軍勢興津に陣す 家忠日記
1590 天正十八年 豊臣秀吉公小田原城北条氏攻伐の際立寄り滞在す 清見寺文書
1590 天正十八年 豊臣秀吉韮山城攻撃の際清見寺梵鐘を徴用す 清見寺文書
1600 慶長五年 徳川家康奥州征伐の際清見寺に宿す 家忠日記
1600 慶長五年 徳川家康関ヶ原戦の途上清見寺に立寄る 清見寺文書
1607 慶長十二年 朝鮮通信使者清見寺に立寄る(五月) 清見寺文書
1608 慶長十三年 徳川秀忠清見寺に宿す(九月三日) 武徳編年集成
1610 慶長十五年 琉球国具志頭王子清見寺に埋葬す(八月) 清見寺文書
1616 元和二年 大玄関落成す静照院寄進 清見寺文書
1616 元和二年 清見寺住持久能山家康の廟所ヘ諷経を納む 清見寺文書
1617 元和三年 釈迦如来坐像家康公姫君の寄進(静照院) 清見寺文書
1623 元和九年 家康公来寺(七月)  
1642 寛永元年 家光公より寺領二百余石下附さる  
1651 慶安四年 山門落成す(九月) 清見寺文書
1655 明暦元年 朝鮮聰使清見寺立寄り(十月) 清見寺文書
1665 寛文五年 徳川家光御台所本理院殿より桐堂金及仏具を寄附
1710 宝永七年 徳川幕府清見寺諸堂を修覆す
1710 宝永七年 琉球使節塔参す(十二月)
1711 正徳元年 朝鮮聰使清見寺に立寄る
1714 正徳四年 琉球使節塔参す(十二月)
1748 寛延元年 朝鮮聰使節清見寺立寄り(五月十七日)
1749 寛延二年 琉球使節来詣す(正月四日)
1764 明和元年 琉球国使節の塔参(十二月)
1764 明和元年 朝鮮聰使立寄り(二月)
1771 明和八年 松平芸州公来詣す(四月)
1777 安永六年 牧野越中守寺社奉行来山す
1791 寛政三年 琉球使節塔参す(一月)
1796 寛政八年 紀州公宿泊す
1806 文化三年 琉球使節塔参す(五月)
1819 文政二年 紀州大納言宿泊す
1828 文政十一年 清見寺本堂再建落成す
1830 天保十三年 琉球使節塔参す(十月)
1844 天保十五年 清見寺仏殿落成す
1850 嘉永二年 琉球使節塔参す(十二月)
1862 文久二年 徳川家茂上洛の途上旅館に充つ
1867 慶応三年 清見寺書院落成す
1869 明治二年 明治天皇御遷都の際御成り(三月)
1871 明治四年 徳川幕府下附朱印地上知を命せらる
1878 明治十一年 明治天皇北陸御巡幸の際御成り(十一月)
1886 明治十九年 内務省より保存資金下附さる(十月)
1888 明治廿一年 東宮殿下(後の大正天皇)海水浴の為滞泊さる
1889 明治廿二年 東海道本線境内を通過す(二月)  
1906 明治卅九年 照憲白エ太后御成り(三月)  
1918 大正七年 宮内省より堂宇修理費補助金下附さる(十二月)
1936 昭和十一年 清見寺庭園文部省より名勝に指定さる(九月)
1937 昭和十二年 歌人与謝野晶子来遊す(九月)  
1962 昭和卅七年 興津埠頭工事始り清見潟没す(二月)  
1967 昭和四二年 防災道路及駐車場完成す(一月)
1968 昭和四三年 大航宗琢禅師四期十六年管長在任中寂す(十月廿六日)