巨鼇山清見興国禅寺 公式ホームページ

臨済宗妙心寺派

住職挨拶

 寺伝によると「清見寺」の歴史は極めて古く、約千三百年前の白鳳年間(七世紀後半)にまでさかのぼります。天武天皇朝の頃に、 この地に関所が設けられ、その鎮護として仏堂が建てられたことが始まりと伝えられています。鎌倉時代には禅宗に改められ、室町時代には足利尊氏公の帰依を受け、 七堂伽藍が造営され高い寺格を与えられました。この頃には既に、「全国十刹」に名を連ね日本を代表する寺院となっています。

 清見寺の附近の地勢は、山、海に迫り自然の要害でもあり、また、交通の要衝でもありましたので、戦国時代には、 今川氏、武田氏、北條氏、徳川氏の戦国大名が攻めたり退いたりで、甚大な戦禍をこうむることもありました。 徳川家康公が幼少時代に今川家の人質として駿府に在りし頃、清見寺の住職でもあった雪斎禅師に教えを受けたことは有名です。 現在清見寺には、「家康公手習いの間」の遺構が残されています。

 清見寺は眼下に駿河湾を望み、正面には三保の青松と相対し、遠くには伊豆の連山を仰ぐ景勝の地でもあり、 江戸時代には、朝鮮使節の宿泊所にもなりました。明治時代には、皇太子時代の大正天皇、昭憲皇太后をはじめとして、皇室の方々のご訪問が相次ぎました。 また、夏目漱石、島崎藤村、高山樗牛、北原白秋、与謝野晶子など、多くの文人詩人も清見寺を訪れ、あるいは作品にも書き綴っています。

 このように清見寺は、数々の足跡を日本の歴史に刻みながら現在にいたっています。昭和十一年には、徳川家康公が石組み、 植樹などを指図したといわれている庭園が国の名勝に指定され、平成六年には、境内全域が朝鮮通信使遺跡として国の史跡指定を受けています。 またその他にも、数々の歴史資料を有する文化財の宝庫でもあります。

 近年清見寺では、諸堂伽藍の老朽化が進み、各所で雨漏りが見られるようになりました。現在、八十年ぶりとなる大規模な修復工事を行なっている最中です。 この「平成の大修理」には、資金面等で多くの困難がありますが、昔の姿を後世に残すべく、寺院関係者一同皆協力してこの事業に立ち向かっています。 地方の一寺院ではありますが、清見寺を少しでも多くの方々に知っていただければ幸いです。

清見寺二十四世住持 一條文昭